団塊世代の夢が叶った!ビートルズゆかりの地を歩く
Liverpool・The Cavern Club・ Mathew Street
Penny Lane・Let It Be・The Long And Winding Road

My dream has come true
The ビートルズ・ストーリー ビートルズの誕生〜解散〜ソロ活動・・・展示テーマ館
大人の旅心にお応えする 「シニアのためのeナビ」


Top>ビートルズの足跡を尋ねたノスタルジック・レポート

 

「中高年のロンドン・プチ留学」の休日に、青春時代の懐かしのロックバンドビートルズ≠フ故郷、リバプールへ行ってきました。ビートルズ≠ナ青春を謳歌された方々の参考になれば幸いです。


はじめに
午前7時15分・・・EUSTON駅出発
午前10時28分頃・・・LIVERPOOL_LIME St駅到着
午前10時50分・・・Mathew Street からスタート
午前11時15分・・・いよいよ彼らの足跡を・・
午前11時50分・・・Ringo starr コレクション
午後0時15分・・・PENNY LANE
午後0時50分・・・パブ・レストランで昼食
午後2時・・・JohnとPaulのご対面の場所、 Stピータース教会
午後3時・・・博物館「THE BEATLES STORY」
午後4時・・・「The Cavern Club」」へと向かったが?
午後8時50分頃ロンドン・ユーストン到着 午後10時帰寮
その他の記念スポット


*本文中にある画像をクリックすると、大きい画像になります



 それは1本の古びたビデオテープから始まった。
私の宝物「ザ・ビートルズ・アンソロジー」
1995年12月31日、年末大晦日に上映された「ザ・ビートルズ・アンソロジー」という6時間番組の録画テープである。ビートルズのメンバーが自らを語るドキュメンタリー番組である。

当時は、これらのゆかりの場所・リバプールへ行ってみたいものだ・・・と漠然と想像していた。今回「中高年のためのロンドン・プチ留学」の機会に立ち寄れないか、とネットで情報を調べた。引率のS先生にも協力をお願いした。

先ずは、ロンドンからリバプールの交通機関と、現地ツアーの有無である。交通機関はここから調べることが出来る。National Rail Enquiriesで調べることが出来、駅名・往復日付・クラスを入力していけば情報が得られた。 現在民営化されました。
現地ツアーは定番のUK NOW からも検索可能だろうが、直接このサイトから検索した。リバプール市の公式サイト(日本語)である。至れり尽くせりの日本語サイト。余程日本人観光客が多いのだろう。
(注)UK NOW は'09.03.31で閉鎖につき、情報入手は英国政府観光庁HPのこちらから


Time Table 21日ロンドン塔観光の帰りに往復チケット購入メールにてガイド氏と情報確認しました



 ロンドンの地下鉄は毎土・日曜日に修理・点検を全線またはある区間行う慣習だ。
前日、S先生からのお知らせで、Circle Lineは不通。District Line他も区間修理。
「おススメは、Northern Line 北行きです」という案内で、寮を6時前に出発。万一のことを想定して一台早く、最寄駅Deptford駅6時11分の始発に乗車する。EUSTON駅始発のVIRGIN TRAINSで、いよいよ出発だ!

発車!オーライ!



 駅ではリパプール市公認の唯一日本人ガイド・阿部氏がお出迎え。駅構内を案内後、駐車してあるところへ移動する。  

Lime St 到着!
 リバプール市は現在大掛かりな町の改造が行われており、駅を中心にお化粧直し中である。阿部氏によると、今年のリバプール誕生800年記念や来年のヨーロッパ文化都市≠フ大イベントを機会に、市はミニ再開発という感じがするとのこと。また、
ビートルズ・ウィークで、世界各国から集まったビートルズファンのコンベンションが、現在ではマシューストリート祭りも含めて1週間、世界に注目される大音楽祭になったという話も伺った。

 なお、阿部氏の人となりは、下記出版物に掲載されています。ご覧あれ。

ニッポン人脈記〈3〉未知への挑戦 (朝日文庫)
街道をゆく〈30〉愛蘭土紀行 1 (朝日文芸文庫)


ウォーカー美術館。英国でも有数の美術館、時間があれば帰りに寄ろう・・・?阿部氏は道に迷ったら、駅前のこの塔を目印にと教わったが・・・・



 郊外への足跡巡りの前に、先ずはここを押さえておこう。短い裏通りだが、若かったビートルズがここからスタートしたのだ、と雨にぬれた舗道を歩む。今は閑散としているが氏によると、毎年8月下旬の「ビートルズ・ウィーク」この界隈は大賑わいだそうだ。その時もう一度来てみたいものだ。
 
8月末のビートル・ウィークは混雑しますビートルズが良く通ったパブ並んでスナップを撮ったので失礼しますm(__)m


このライブハウス前は記念撮影の格好の場所です。
二人連れの所作から、こんな会話が聞こえそうです。画像にマウスを当てて下さい。
「撮るで〜」  「お願いしま〜すw」「あれ〜 撮れてへん」  「・・ったく、もう〜。知らない!」
 ここの開場は、お昼からなので、後回しにすることに。



これからは、氏の車で彼等の思い出の場所を巡ることにしました。最初はジョンが生まれた病院です。隣に彼の名を冠したスタジオがありました。

壁にはプレートが掛かっていますLENNON STUDIOS
 正面の2つの学校です。ひとつが1957年秋にJohnが入学した、リバプール・アート学校で、その隣が、Paulが入学したリバプール・インストチュート学校(注)です(2年後に、Georgeも入学)。前にあるスーツケースの山は、ある芸術家により、(イギリスは勿論、ヨーロッパの移民の出発点と栄えた)当時のリバプールの港の風景の一部を積み重ねたスーツケース等で再現したものです。
Paulはこの学校にしばしば訪れ、毎年の卒業式にはスピーチをするそうです。
John と Paul が通っていた学校

【周辺の風景】


(注)LIPA
The Liverpool Institute For Performing Arts, based in Paul McCartney's old school, a specialist school for the performing arts.










「リンゴ・☆」は、いつも三人の後方の舞台でドラムを演奏しているように、メンバーでは影が薄い存在に映りますが、三人より一足先にプロ・デビューしていたそうです。
1945年から1963年まで、この家でリンゴ・スターは住んでいました。その後、Groseさんが住まれました。ご自宅にある趣味としてのコレクションを見せていただきました。

このように個人でリンゴ・スターを顕彰しておられるのはファンとしてうれしいことです。

Groseさんのリンゴ・スターへの想いお便りをしよう


左は、ある雑誌の特集記事の切り抜きです。ミュージシャンのクリフ・リチャードやオジー・オズボーンの家を買われて住んでいる方の特集記事で、Groseさんも掲載されています。右は便箋スタイルです、いずれお便りを書こうと思っています。

この時彼女は丁度、買い物帰りでした。阿部氏とgroseさんとのツー・ショット。

Groseさん、いつまもでもお元気で!拡大画像はありません。ちゃんと名刺も作っておられました(脱帽だー)

お許しを得て、室内の写真を撮った後、記念の記帳をする。イギリスでの記帳は、シャーロック・ホームズ博物館以来だ。現役時代の彼らを知る人が、年毎に少なくなっていきます。そんな中でのGroseさんにエールを送ります。ありがとうございます。


ビートルズの懐かしい写真がありました。


映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」で、リンゴ・スターがこの家から出てきて、車に乗り込んだ後をファンが追いかけていくシーンがありました。このシーンも「ザ・ビートルズ・アンソロジー」にあります。


Mrs.Margaret Groseさんは病院通い。元病院のセラピスト・阿部氏にしばし医療相談をしてられました。お大事に。


彼らがよく訪れた池。毎年3月には水仙が綺麗だそうです

数年前、「アンソロジー」という出版物で、少年時代のPaulがボートに乗っている写真はこの池で撮影したもの。毎年3月下旬になると水仙の花≠ナ池の周りは満開になるそうです。



 この曲に歌われた場所も健在です。通学時代の思い出を曲にしてしまうことは素人ではなかなか出来ません。

左は2代目、右が初代のプレートです。落書きは止めよう!銀行は診療所になっていました
床屋はいまも健在ですここが有名な場所でパチリ。無粋な者がいて、どうも m(__)m

 この近くに、PENNY LANEに出てくる消防署もあります。♪消防車を綺麗に磨いている・・・≠ニいう消防署はこれです。

歌にある消防署です

ここPENNY LANE は、リバプールの郊外の中心地で、PaulやGeorgeがここで乗り換えて、Institute学校へ通った。バスを待っている間の情景を歌にしたのである。



 阿部氏が近くに小粋なパブ・レストランがあるので、ここでお昼にしましょうと提案。
数多くのメモリアル・ポイントへ行って、頭がパンク寸前で丁度いい区切りだ。
阿部氏の注文は?との問いに、やはりイギリスの美味しいビーフステーキとビターと決めていたが、運転中の彼に考慮しアルコールは止めソフトドリンクにする。料理が出来るまで店内を散策。店内にはゆったり感が漂っていて、ふと時の流れに身を任せ〜・・・≠ニいうフレーズが頭をかすめた。

チラッと狂牛病のことが気になり、よく火を通してとwell-done≠注文したが、medium≠フ方が良かったかな〜、付け合せのポテト大〜好き!

ビートルズのBGMで、ごゆっくりと召し上がれ!キャシュ・オン・デリバリーで左からハーフ・パイントづつ飲みたかった〜8oz Rump おこげの部分はとりました(笑)


「久しぶりのお喋りを楽しみました」

どちらかというと、無口な?管理人ですが、一週間振りに「日本語」で、男の方とおしゃべりをしました。ツアー一行はは中高年同士ですが、女性陣とあまり馬鹿ッぱなしはできません。阿部氏とはほぼ同年代ですので、気遣い無く話させてもらいました。差し障りのないお話から始めましょう。

リバプール市のビートルズ公認ガイドの経緯は、1970年ビートルズが正式に解散してから、全世界からリバプールへビートルズ聖地巡礼≠ェ起こり、自称ガイドが多数発生。しばらく市も傍観していたが、質が悪くなり色々の問題噴出。当局が1983年に市公認の試験を実施し12名が合格。彼らを市公認ビートルズガイドと認定した。阿部氏はその一人である。

また、阿部氏は日本からのビートルズを含むTV番組のアドバイザーも手がけておられる。「ザ・ビートルズ・アンソロジー」もそのひとつだ。

今回の旅行は、英語プチ留学なので、英語習得の方法を愚問だが聞いてみた。「英語を聞いて日本語に翻訳している間は旨く行かない。頭から理解していく頭の構造に切り替えなくては上達しない・・・一番いい方法は住んでみることなんですがねえ・・・」との賢答であった。






 いよいよビートルズ巡礼も後半戦となりました。昼一のメモリアル・スポットはここ。
 JohnがMimiおばさんに引き取られて5−17歳の終わりごろまで住んだ家です。
紆余曲折があって、いまではナショナル・トラストとなっています。
くわしくは、このWebサイトでお調べください。ここ

今度は中に入ってみよう
 


このセント・ピータース教会(St peters Church)のプレートには1957年7月6日John & Paul First Met≠ニ記されています。くわしくは左の写真をクリックしてください。

二人の運命的な出会いにあやかってか、日本のビートルズ・マニア8組がこの教会で結婚式を挙げています。そのアレンジも阿部氏が担当されたそうです。パイプオルガンでのウェディング・マーチという演出もあります。皆さんもいかがですか?
今日もホールではバザーをしていました。右は仮装姿の受付嬢です。

JohnとPaulの運命的な出会った教会阿部氏のお知り合い?

5分程走ると、孤児院「STRAWBERRY FIELD」跡の門に出ます。
毎年、JohnがMimiおばさんに連れられて、ここのお祭に出かけたそうです。両親の離婚で自分も孤児同然の身、彼らと共通するものを感じたのかもしれません。この孤児院も教育改革で、施設での養育より里親に預けた方がよいという制度が確立し、昨年(2006年)8月に閉鎖され、門はそのままあります。
 Strawberry Fields Forever≠ニはいかなかったようだ。

相変わらずの「落書き」でよく見えない・・・

 先週この近くで、往年のテニスの名プレーヤー「ビヨルン・ボルグ氏」を阿部氏は見かけたとのこと。ウィンブルドン大会のイベントに招待されたが、母国での負傷事故で親善試合には出られず、来年は出場したいとメディアに発表したそうです。

その他いくつものスポットを訪ねて・・・、ツアーも終わりに近づきました。
車内では、ビートルズの最晩年の名曲The Long And Winding Road≠ェ流れています。この長く曲がりくねった道と、曲のイメージが重なります。

 リバプールは港町。アルバート・ドック前でツアーは終了となり、阿部氏から駅までの道のりを教えてもらい、いつか再会することを約束して別れました。

最後に、来年(2008年)1月完成のコンサートホールのこけら落としを、Paulに交渉中という情報が、ラスト・メッセージとなった。
 彼にオープニング・イベントをしてもらえば、ホールの今後に弾みがつくでしょう。



  先程のツアーと阿部氏のガイド内容を予習として、この博物館へ入ると感慨深いものがある。彼等の時代別の記録が展示されています。日本語のイヤフォンガイドもあり便利です。くわしくは、このWebサイトでも案内されています。⇒ここ(日本語)

では、入口までご案内しましょう。


【THE BEATLES STORY博物館】


展示の最後のソロ活動<Rーナーに興味があった。PaulのLIPAへの貢献は先に述べたが、Johnの白い部屋にあったピアノ上の遺影と、小さな独特のメガネがぽつんと置いてあるのが印象的であった。
他のメンバーのGeorgeやRingoのソロ活動のシーンもあればより充実したものになったであろう。Georgeはビートルズ解散後の活動の方が、自分にとってはいい仕事をしていたのではないか、と思う。JohnやPaulから開放されたのだろうか。


<皆〜んな、ビートルズが好きなンや!>
 ツアーの方々と、リバプールのビートルズ巡礼の話題のとき、「xxxさんは数年前の大阪でのPaul MacCartneyのコンサートいかはったん!」と聞かれて、行っていないというと、「とっても良かったわよ〜」とのこと。それも一人ではなく二人もおられてビックリでした。あの時は、知っていたが、Paulは「もう、ビートルズの曲は歌わない・・・」と常々言っていたので乗り気でなく、仕事にかまけて行かなかった。

ところが、コンサートではバンバンと「ビートルズの曲」を歌ったらしい(^_^;)
その時は、George Harrisonの追悼コンサートとしての来日でもあった。
このことは、掛かりつけの大学病院の医師から聞き、ビートルズ談義で診察はそっちのけでした! 2・30代の彼はリバプールでホームステイをしていて、よくCavern Clubへ行ったそうです。 世間は広いようで狭い、とはこのことです。

 渡英中でのPaulに関する話題を2つ。
 1942年6月18日は彼の誕生日です。フリーペーパー「thelondonnews」からの彼に関する切抜きです。
マッカートニーの最新のソロアルバムである「Memory Almost Full」のことが書かれていました。
Paul MacCartney is the new face of Apple's latest iPod advert.


 プチ留学中にこんなテストがありました。 世界の記録についてです。
What do you know about the world?
答えはマウスを当てると出ます。彼は世界で有数の資産家ですね。

The answer is A.

え〜っと、一時間で・・・、一日で・・・、一ケ月で・・・、一年で・・・と電卓を叩く管理人でした(^^ゞ




 博物館を堪能して写真を撮っていると、日本人らしき若者二人。博物館を借景に記念撮影をお願いする。お礼を言って挨拶すると、ひとりが、別れ際に「良い週末を・・・」と日本語で言った。英国へ留学している学生か?ここでの習慣が、「とっさの一言」として発せられたのであろう。「You too!」と、とっさに言えなかった。

 「神奈川県人会の皆様! いい若者をお持ちだねえ」



【アルバート・ドック風景】


 一応、17時15分の列車に乗る予定。「The Cavern Club」へ急がねば・・・と、あちこち工事中で道がクネクネ。なにか不安な気持ちがモクモク。やっぱ、わからへ〜ん。I LOST MY WAY!=i余裕やな〜、こんな時に英語が出るか〜(^_^;)

もうこうなったら、Lime Street駅へ行って一息つこう。ラジオ・タワーを目印にやっとたどり着く。構内のフード・コートでSomething to eat & drink・・・≠ナ一息つく。

この駅始発なので、ゆっくり席を探すと、なにやら酔っ払いの二人連れが先着!ウダウダ言っている。酔っ払いならと、気が大きくなり、声高に、座席指定席券見せて、THIS IS MY SEAT!=iよう、言うたっ!)

二人連れは両手を広げて、ブツブツいいながら反対側の座席へ移動した。
しかし、酔っ払いとはいえ、Excuse me とか Pardon とか言うべきであった。
紳士の国へ寄せてもらっているのだから。すみませんでした!

英国もトニー・ブレア氏の国鉄改革により多くの国鉄が、路線ごとに民営化された。Virgin trains の親会社はVirgin Atlantic 航空だ。




【頑張れ、ストリート・ミュージシャン】


 ロンドンに限らず、パリなどの地下鉄構内での楽しみは彼らだ。そして概ね上手だ。Irish music のようだ。勿論、DONATE しました。



 数多くのスポットを訪ねました。写真で撮った場所をご紹介しましょう。(順不同)



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9 Newcastle road,
J ohnが5歳まで住んでいた家。
photo
64 Mount Pleasant,
John と Cyncia が結婚した当時の登記所。
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36 Foukner street,
Brian Epstainのアパートで、新婚の6ヶ月間、John と Cynciaに貸した家。
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Johnが11歳から通った、Quarry Bank High school.
photo
Johnの家の近くのパブ。
Mimiおばさんに内緒で飲みに行ったパブ。
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20 Furthlin road,
Paulが13歳から住んだ家。
photo
St.ピータース教会の裏庭。1957年7月6日のガーデン祭で「John & Quarrymen」が演奏したところで、Paulと最初に出会ったところでもあります。

12 Arnord Grove,
George が生まれて6歳まで住んでいた家。
photo
9 Madryn street,
Ringo Starrが生まれて4歳まで住んでいた家。
photo
Ringoのソロアルバム’センチメンタル・ジャーニー’のジャケットのカバーに使ったパブ。
photo
Childwall Five Ways のパブにある塀でビートルズや他のバンドが記念撮影したところ。
photo
7 Parcy street,
Stuwart Sutcliffeが住んでいた家
彼は、5人目のビートルズ≠ニいわれており、初期のビートルズのメンバー。
くわしくは⇒こちら

エピソードをひとつ:
ガイド氏は来週の仕事として、日本からの20代の女性のガイド予定。
訪れたいスポットは、ナント120ケ所! なんとか95%は調査完了。残り5〜6つ調査中と、困った様子もなく、楽しげに話されていたのが印象的であった。ビートルズ・ファンは圧倒的に若い女性が多いそうだ。




■いくらかかったか?
「中高年の海外生活体験17日間」の休日に行きましたので、ロンドン・EUSTON駅からの往復費用+諸経費となります。
 【総費用】  約147£(1£250円として)約36,750円
 <内訳>
 ・EUSTON駅〜Liverpool Lime Street駅往復運賃 40£
 ・ガイド氏に支払った料金 100£(マイカーによるガイド料+昼食代立替+御礼)
 ・The Beatles Story 博物館入場料  6.99£








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