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大阪名所旧跡箸休め・キタ編 |
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>HOME >大阪名所旧跡箸休め・キタ編 梅田(うめだ)とは、大阪府大阪市北区に属する梅田駅(阪急・地下鉄・阪神)・大阪駅(JR)などを中心とする街。2011年に関西再生を賭けて街開き予定であり、現在至る所で再開発が行われています。 ![]() 大阪の難波を中心とした一帯を「ミナミ」と呼ぶのに対して、梅田周辺を「キタ」といい、大阪を代表する繁華街の一つです。管理人の独断と偏見の「キタ」スポットの紹介です。 ■ヨドバシカメラ梅田店 所在地:大阪市北区大深町1-1 電話:06-4802-1010 営業時間:09:30 - 21:00 交通アクセスはここから ![]() ン?なんで、ヨドバシカメラが大阪の名所やねん、と思われるでしょう。この店舗のおかげで、大阪駅から人の流れが変わりました。地下鉄・JRの北口駅からの人々は一本道にヨドバシカメラに吸い寄せられています。特に土・日は各階芋の子を洗うような感があります。 当初、JR大阪駅の前には北浜から三越百貨店が来るべしでした。それが西日本に拠点が無い東京資本のヨドバシカメラが攻勢を仕掛けてきました。 当時、大阪では電気街といえば日本橋(にっぽんばし)でした。根っからの大阪人の管理人としては、内心腹立たしさがありました・・・が、儲けたお金を全部東京に持っていくのやのうて、店員になる派遣社員やアルバイターなどの非正規社員として、若者の雇用をもたらしているのではと考え直して?「河内地方」から出張ってきて、せいぜい利用させてもろてます(笑)。 ヨドバシは伊丹空港、関空、新幹線から便利なせいか大阪の街として、特に多くの外国人(中国、韓国などのアジア系)を見かける施設でもあります。空港のアナウンスもヨドバシのアナウンスには顔色なしでしょう。 中国語・韓国語は勿論、英語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語etc・・・そういう方達のおみやげとして、古典的な京都、奈良系やドラエモン、ピカチュウなどアニメ系などのおもしろいものが売っています。免税店も兼ねていますしね。まあ、あれだけの品揃えで10パーセント引きのポイントが付くのは強力でしょう。 ヨドバシ周辺として、ここから歩いて、梅田貨物線地下道(かなり歩きでがあります、ということはいかに貨物駅が広いかということです)を抜けると、ビルとビルの間に展望台がある梅田スカイビルがあり(地下には滝見小路というレトロな飲食街もあります)、そのすぐ横には また、ヨドバシから大阪駅に回って、有名な複雑地下街を抜けて曽根崎警察の横に出て、曽根崎通りを南で下ると、お初・徳兵衛の曽根崎心中で知られる「お初天神」があります。 周辺はキタの繁華街ですが、庶民の旧跡があるところが「梅田」の良さでもあります。 先の有名な複雑地下街を、今ハヤリの検定ブームのひとつとして大阪梅田地下街検定≠ネんかを大阪商工会議所あたりが考えてもええなあ、と思うのは管理人だけでしょうか?
梅田界隈にはおいしいラーメン店がたくさんあります。 当サイトの情報は クーポンを印刷または携帯でメールを送って行くと料金割引が受けれます。 ■曽根崎・天満 大坂を代表する作家・近松門左衛門の世話物浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島」の舞台となった北新地から、学問の神様・大阪天満宮までの名所旧跡を歩いてみると、大阪の繁華街・梅田にも文学や歴史の足跡が数多く残っている。今まで足早で通り過ぎていた、この街をじっくりと歩いてみた。 大きな地図で見る E:川端康成生誕地 F:天神橋筋商店街 G:大阪府立中之島図書館 青ピン:新地本通り 赤ピン:お初天神 緑ピン:大阪天満宮 黄ピン:天満天神繁昌亭 ■桜橋跡 JR東西線北新地出口を出て地上に上がり、国道2号線と四ツ橋筋の交差点を越え、四ツ橋筋を南へ歩く。新地本通りの西の入口が見える。その一筋南にある京福ビルの南角に建っているのが、櫻橋跡の石碑である。 碑には「明治42年7月31日 北区大火にて焼失す 昭和48年10月15日 安原」と彫られている。 ![]() 桜橋はかって新地の中心を流れていた蜆川(しじみかわ)に架かっていた橋で、近松門左衛門「心中天網島」に「・・・跡にこがるる桜橋」とその名が出てくる。 ■新地本通り 曽根崎新地とも北新地とも呼ばれる大阪を代表する歓楽街である。近松の時代の新地はどのあたりを指すのか分からないが、現在の新地は、新地本通りを中心に、御堂筋と四ツ橋筋、国道2号線と堂島川に囲まれた地域をいう。 サラリーマン時代にはお接待で来たことはあっても、個人ではなかなか・・・・。 ネオンが灯るころになると、にわかに活気づくのは盛り場はどこでも同じ。北新地は今も昔も高級な雰囲気がある。 ![]() ■蜆川跡 新地本通りを東へ歩き、曽根崎新地1丁目の角を左手に曽根崎川跡の碑、すぐ右となりに蜆橋銅版標がある。銅版標は読めないので碑の内容は以下のとおり。 ![]() ![]() 『曽根崎川はかつて堂島川から分かれて、ここから少し南よりのところを東西に流れ、俗に蜆川(しじみがわ)ともいわれていた。元禄年間に河村瑞軒(かわむらずいけん)がこの川を改修してから堂島新地・曽根崎新地が開かれた。 そのころの新地の茶屋は蔵屋敷や商家の人々のつどうところとして親しまれ、このあたりからは北野や中津の田畑越しに北摂の山々が遠望でき夏の夕べには涼み舟がこの川からこぎ出たという。 近松門左衛門の作品には堂島新地・曽根崎新地を舞台にしたものがあり、なかでも「心中天網島」(1720の作)の一節名残の橋づくしには当時曽根崎川にかけられていた難波小橋・蜆橋・桜橋・緑橋・梅田橋の名がたくみにとりいれられている。 しかし、この曽根崎川も明治42年(1909)の北の大火後に上流部、ついで大正13年(1924)には下流部が埋立てられ、昭和20年(1945)の戦災でこのあたり一帯は焼失したが、今日では北の新地としてにぎわいをとりもどしている。 昭和51年春 大阪市』 ■堂島米市場跡 新地本通りに戻り、東へ1筋目を右に。全日空ホテルの横を通り過ぎると堂島川に。 このほとりに、江戸時代、天下を動かした米相場の行われた市場があったことを記す石碑がある。 【享保15年(1730)幕府は堂島米市場に米の先物取引である帳合米取引を公認した。 その取引の手法は現在の大阪証券取引所を始とする世界各地における組織化された商品・証券・金融先物取引の先駆をなすものであり、先物取引発祥の地とされている】 ![]() ■お初天神(露天神社-つゆのてんじんじゃ) 堂島川から左に折れ、御堂筋を北上する。梅田新道(梅新)の歩道橋を渡ると、お初天神の通称で知られる露店神社の鳥居が見える。 祭神は少彦名大神と菅原道真である。社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされる。創建は西暦700年ごろとされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。 社名には諸説があり、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで「露と散る涙に袖は朽ちにけり、都のことを思い出ずれば」と詠んだからとも、梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たためともいわれる。 元禄16年(1703年)に境内で実際にあった心中事件(堂島新地天満屋の遊女・お初と、内本町平野屋の手代・徳兵衛との情死事件)を題材として、近松門左衛門が人形浄瑠璃『曽根崎心中』を書き、そのヒロインであるお初の名前から「お初天神」と呼ばれるようになった。 ![]() ![]() 右の写真では、「奉納 手水一式 三代目・中村雁治郎」とある。昔、父二世雁治郎の徳兵衛と当時扇雀(現、坂田藤十郎)のお初の舞台が印象に残っている。この扇雀が三代目・中村雁治郎である。一方、文楽では永らく、吉田玉男の徳兵衛・吉田蓑助のお初のペアも今は懐かしい思い出となった。 それはさておき現在では、梅田界隈の観光名所となっていて、縁結びを願うカップルの参詣が多い。第1・第3金曜日は「お初天神蚤の市」が行われるのだが、今日12月21日(金)は何故か中止の立て札。 係りの方に聞くも理由は不明。思うに、今日は京都・東寺の終い弘法。ひょっとして、そちらの方へ・・・とは考えすぎか。 ■老松通り 梅新東の国道から南に1筋目の東西の道が老松通りである。通りの入口近くには、この道がかつて大阪天満宮への参道であったことを示す「天満宮表参道」の碑が建っている。 老松通りを中心とした西天満界隈は、骨董品や古美術を扱う店、ギャラリーが数多く集中している、文化の香りがする地域だ。これほどたくさんの骨董品店・画廊が集まっている地域は珍しいだろう。地元では、[美と文化の街]としている。 ![]() 古くは八百八橋と言われた大阪らしく、堂島川沿いを歩いてみると、中之島界隈には多くの橋があったことが分かる ![]() ![]() ![]() ■大阪天満宮 (おおさか-てんまんぐう) 堂島川側の天神橋北詰(交番あり)から東へ1筋目を左へ曲がると、正面に大阪天満宮が見える。 大阪天満宮は、大阪市北区に鎮座する神社(天満宮)。「天満の天神さん」と呼ばれる。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。 大宰府天満宮・北野天満宮とともに日本三天神(日本三大天神)のひとつとしても知られている。毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。特に25日の陸渡御、船渡御(ふなとぎょ)の神事は毎年100万人以上もの見物客で賑わう。 「西暦901年に菅原道真が、藤原時平により九州太宰府へ配転させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。」(Wikipediaより) 大阪天満宮の一角に、上方落語の定席・「天満天神繁昌亭」が平成18年(1996)9月にオープンした。 ![]() ![]() 江戸時代の連歌師・俳人の西山宗因や彼を師と仰ぐ松尾芭蕉の句碑も境内の2箇所に建っている。 大阪天満宮の公式Webサイトはこちら ■川端康成生誕地 大阪天満宮表門を出て右手に料亭・相生楼(あいおいろう)の玄関前に川端康成生誕碑が建っている。「雪国」「伊豆の踊り子」などで知られる日本初のノーベル賞作家。 彼は明治32年(1899年)6月14日の生まれで、生家は料亭・相生楼敷地の南端あたりにあったという。 ![]() ■天満天神繁昌亭 元々は天神橋筋商店街で落語会を開く予定だったが、打ち合わせをしていくうちに定席の寄席話が持ち上がり、大阪大空襲後60年間上方落語には無かった定席が開設されることになった。 「繁昌亭」の名前は、6代目笑福亭松鶴の発案により千里中央のセルシーホールで上方落語協会が主催していた落語席「千里繁昌亭」に由来する。 用地は大阪天満宮の好意により、無料で提供された。 設立への反対意見もあったが、建設費用については「繁昌亭建設募金」を置く事で設立に至り、平成18年(1996)9月にオープンした。 管理人の「天満天神繁昌亭」のサイトはこちら ■天神橋筋商店街(てんじんばしすじ-しょうてんがい) 大阪市北区にあるアーケード商店街。 南北2.6キロメートル、600店の日本一長い商店街である。各商店街は、地名にならって「○丁目商店街」のように分類される。 江戸期に日本の物流で主要な役割を果たした「天満青物市場」を中心として発達した。かつては「十丁目筋商店街」といわれ、現在も地元では十丁目(じっちょめ)と呼ばれている。 ここでいう十丁目は1丁目から10丁目(実際には8丁目までしかない)という意味ではなく、大阪城の南北縦に走る通りを一丁目とし、天神橋筋商店街がそこから10本目であったことから十丁目となったものである。 今日はこれで帰ることにして、最寄のJR東西線・大阪天満宮駅へ。小腹がすいたので半屋台風のこぢんまりとした店舗で買い食いをする。ビフカツとトンカツを揚げて貰っている間に、文楽の迎え人形を撮る。 後で知ったが、この店「中村屋」といいクチコミで有名な店。道理で子供たちがコロッケを買っていたっけ。 ![]() ![]() ■大阪府立中之島図書館 震災復興を記念して、神戸では光の祭典「ルミナリエ」を開催していますが、我が街大阪でも年末に中之島を舞台とした、今年で5回目を迎える「OSAKA光のルネサンス」を催しています。 以前から建物のライトアップなんか、無駄な電力を浪費しているだけではないか。 モッタイナイ、MOTTAINAI・・・と思っていたが、近年は新素材のLEDなんぞを使っていて省エネだそうだ。 そこで、一度のぞいてみようかと野次馬根性で行ってきました。大勢の見物客が集まった【建物と音楽と光のコラボ】と題する、[ウォールタぺストリー]が人気でした。 内容は、ネオバロック様式の列柱がそびえる正面入口の壁面をスクリーンに見立て、音楽と大型照明でさまざまな光のアートを映し出すイベントで人気だ。 ![]() ■適塾 所在地:大阪市中央区北浜3丁目3番8号 電話:06−6231−1970 交通アクセス:京阪電車・地下鉄御堂筋線で淀屋橋又は京阪電車・地下鉄堺筋線北浜下車、市バスは淀屋橋下車 地図はこちら もうひとつの梅田にある史跡・重要文化財として、「適塾」があげられます。蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が 江戸時代後期の天保9年(1838年)に大坂・船場に開いた蘭学の私塾です。御堂筋の淀屋橋・北浜といえば大阪一のビジネス街。そのエアポケットのような場所に史跡公園として、この建物があります。 明治政府の要人を多く輩出しています。有名人のひとりに「福沢諭吉」がいます。 建物は当時若干より小さくなっているようです。柱には刀傷があり、血気盛んな若者達の記念碑でもあります。 塾生は、適塾に一冊しかなかった蘭日辞書ヅーフ・ハルマを奪いあうように利用しました。そのため、辞書をおいた部屋はヅーフ部屋と呼ばれています。
大阪大学:適塾Webサイトは⇒ こちら ■大阪城天守閣 所在地:大阪市中央区大阪城1番1 電話:06-6941-3044 交通アクセスはここから なんといっても大阪へ着いたら、ここへ来なはれ。天守閣は外から見ていたらそれなりに綺麗けど中へ入る気はせえへん・・・という人がほとんどでしょう。 大阪城庭園は市民の憩いの場になっており、西の丸庭園の「観梅」や花見シーズンは特に有名です。しかし、この天守閣には年間の入館者は平均して、約100-110万人で推移しているそうです。 鉄筋コンクリート8階建ての天守閣内部は歴史博物館になっています。豊臣家の文物や安土・桃山時代の武具甲冑や当時のものがゴマンとあります。鎧兜を着ての記念写真は特にお子さんには人気です。 そこで、博物館学芸員の科目等履修生だった頃のノートを読み返してみることに・・・。
大阪城天守閣のWebページはここから
画像提供:JTB JR環状線京橋駅西出口→徒歩約3分 大阪城やOBP(大阪ビジネスパーク)をメインにして、繁昌亭や天神橋筋商店街の南半分、あるいは桜ノ宮橋(通称:銀橋)方面を楽しまれるなら、OBPにあるホテルモントレ ラ・スール大阪が便利です。温泉もついていておすすめです。
注:当サイトに掲載している情報は、予告なしに変更されることがあります。 |
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