| シニア世代に大阪再発見・・・団塊世代にもう一度、大阪再発見・・・ |
|
大阪名所旧跡箸休め・南部編 |
| 大人の旅心にお応えする「旅と食の情報誌」 |
>HOME >大阪名所旧跡箸休め・南部編 大阪平野大和川の南方面「泉州」のご紹介です。東部編で紹介した中世の環濠で囲まれた平野郷≠ニ同じく大阪南部の自由都市堺≠紀州街道沿いに歩いてみました。 その他、管理人が海外旅行の際に利用している関西国際空港≠ニ、大阪唯一の村南河内郡千早赤阪村≠取り上げました。 ■堺(紀州街道) 拡大地図を表示 E.フェニックス通り F.千利休屋敷跡 G.大安寺 H.南宗寺 鍋:美々卯堺店 ■旧鉄砲鍛冶屋敷 南海本線七道駅前のてくてくろーど案内図 と、堺・観光マップで今日の道程を確認し東へ歩く。この辺りは第2次世界大戦の戦災を免れたため江戸後期を偲ばせる古い町並みが残されている。 堺の地場産業・線香の薫主堂を右折したところに旧鉄砲鍛冶屋敷がある。 井上邸は堺にただ一つ現存する当時の鉄砲鍛冶屋敷で、現在は4棟の切妻造り平入りの建物であるが、現在は非公開となっている。 ![]() ![]() ■水野鍛錬所 旧屋敷を直進して最初の角を左折。二つ目の角を右折すると、江戸時代の交易ルートとして栄えた紀州街道へ出る。この辺りにはこれも堺の名物打刃物の看板が目に入る。 そのなかの有名店の一つが水野鍛錬所。創業は明治5年(1872)。昔ながらの製法で打刃物を作りつづけている。お昼休みに職人さんとおぼしき人がウインドーショッピング。 ![]() ■妙国寺 途中、与謝野晶子の歌碑がある「覚応寺」や「西本願寺堺別院」を通る。彼女は堺のマスコット的存在だ。周辺は寺内町でお寺が密集している。西本願寺から道2つ目を左に折れると妙国寺が見える。このお寺は樹齢1100年といわれる大蘇鉄と、「堺事件」の土佐十一烈士切腹の地として有名である。 館内の説明は堺観光ボランティア協会が担当。拝観者は3名。丁寧な説明を受ける。ガイドのメインは大蘇鉄と「堺事件」であった。何本もの蘇鉄のようであるが根は一本である。また、枯山水に蘇鉄を配しているのはここだけらしい。おみやげに蘇鉄の種を頂くが以外に大きいものだ。圧巻は切腹の際の三方に付いた赤い血糊が未だ生々しいのには驚きだ。烈士の墓は向かいの宝珠院経営の幼稚園内にあって無断で入れない。 ![]() ![]() 妙国寺に時間を取ったので、堺の伝統産業である打刃物堺HAMONOミュージアム≠ヘパスした。プロ用包丁の約9割のシェアを占める堺打刃物。ここでは、刃物の製造工程やその歴史に触れることが出来る。 堺HAMONOミュージアムWebサイトはこちら ■与謝野晶子生家跡 少し歩き疲れたので、紀州街道沿いに走っている「阪堺軌道」のチンチン電車に乗ろうかと迷ったが、もう少し歩くことに。途中、株~栄堂の好文木の看板が目に留まる。堺の名産品・線香をおみやげとして買い求める。 彼女の生家跡が地図では分からないのでうろうろしていると、堺観光ボランティア協会≠フ派手なジャンバーを着ている方が来られたので尋ねると、「目の前のここですよ!」に苦笑する。道路沿いにあったので分からなかった。 ![]() ![]() ![]() 写真を見ると当時の粋なシャッポーのモガ・スタイルで、なかなかの別嬪さんだ。和菓子商・駿河屋の三女とのこと。余談であるが、この店の羊羹「夜の梅」は当家の御用達。 ■千利休屋敷跡 引き続いてボランティアガイドさんに「千利休屋敷跡」へ案内してもらう。ここは、晶子生家跡のような区画整理は免れて、ひっそりと保存されている。 堺の豪商に生まれ、わび茶を大成させた千利休は早くから茶の湯に親しみ、武野紹鴎に師事。豊臣秀吉に茶頭として仕え茶道を広めたが、晩年に秀吉の怒りにふれ自刃。 雪駄は利休の考案とされ、秀吉の勘気に触れて死罪となった理由のひとつに、大徳寺楼門(金毛閣)改修に当たって驕りがあったため(自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた)とある。ガイドさんに礼を述べ、南国情緒のフェニックス通りに戻る。 ![]() ![]() ■フェニックス通り 阪神高速15号堺線を降りるといつもこの南国ムードのフェニックスが迎えてくれる。戦後復興の一環として、東西約2kmにわたってフェニックス椰子が植えられた。日本の道100選に選ばれている。 ![]() 時分過ぎの昼食とするために、紀州街道沿いのうどんすき美々卯堺店≠ヨと急ぐ。
■大安寺 本堂は書院造りの部屋もある総檜作りで、豪商・呂宋(ルソン)助左衛門の屋敷の転用とも言われる。狩野派の作と考えられる鶴、松、藤などの見事な襖絵と共に重要文化財。 現在は住職が常駐していないので拝観は不定期である。ボランティア観光協会に、拝観運営を任せてもらえばガイドが出来るのだが・・・と、残念そう。 ![]() ■南宗寺 龍興山南宗寺は弘治3年(1557)三好長慶によって建立。大坂夏の陣(1615)で堺市街とともに焼失。沢庵和尚によって元和3年(1617)再建された。江戸時代初期建立の唐門は国の重要文化財。境内には国の名勝となっている枯山水の庭、利休好みの茶室実相院など見所がたくさんあります。 ![]() 秋の日は釣瓶落とし@zが落ちてきました。帰りは、チンチン電車で帰りましょう。 カラフルな広告の路面電車は見飽きません。最寄り駅の御陵前駅から大阪市の恵比須町まで290円。所要時間は40分で思いのほか早く着きました。 ![]() ■おまけ 堺観光ボランティア協会のボランティアガイドが、堺の観光名所を約1時間で案内する「観光ミニガイド」がスタートした。参加費無料で1日2回、毎日開催しており、各集合場所ごとに違ったコースを案内。集合場所などくわしくはこちら 堺市観光情報「おいでよ堺へ」のWebサイトはこちら ■関西国際空港 一般的に我々が「関空・カンクウ」と呼んでいるこの国際空港は、大阪市の南西38km、大阪府南部、大阪湾内泉州沖5kmの人工島に作られた第一種空港で、日本で2番目の本格的な海上空港である。 管理人のこの空港の思い出は、1994年(平成6年)9月4日開港に関わったことである。 厳密に言えば、空港関係者ではなく、航空会社の事務所移転業務に携わったということです。 大阪国際空港(伊丹空港)の最終便後、カウンター窓口の事務機器類一切を関空に陸送し、翌日の一番機に備えるという作業でした。事前に不急の事務所什器類の引越は完了しており、窓口業務のものが最後となりました。 「一番機が飛んだぞー」という声を聞いたような記憶がしますが、映画や小説でのワンシーンだったかもしれません。なにせ灰色の脳細胞≠フ不確かな記憶ですから。 しかし、まさか翌年の1995年(平成7年)1月17日に「阪神・淡路大震災」が起きるとは夢にも思いませんでした。東海・東南海地震がいつ来てもおかしくない地殻状況らしいですから、せいぜい「関空」を利用して海外旅行を楽しむことにしましょう。 ![]()
■南河内郡千早赤阪村(ちはや・あかさかむら) 金剛山のふもとにある府内唯一の村で、楠木正成(くすのき・まさしげ)ゆかりの道を歩くと自然がいっぱいです。 隣接の河内長野市との合併を協議されていますが、どうでしょうか? 大きな地図で見る 千早赤阪村の公式Webサイトはこちら なんでこの村を取り上げたかというと、大阪で唯一の村≠ニいうこともありますが、落語家の桂南光(かつら-なんこう)さんの出身地ということもあります。 上方落語ファンとしては嬉しいことに、女性落語家の奮闘を描くNHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の影響もあり(南光さんの持ちネタもこの「ちりとてちん」)ブームが続いている上方落語界。 更に、今年少なくとも2つの襲名披露があります。上方落語の重鎮で人間国宝の桂米朝(べいちょう)さんの長男・桂子米朝じゃなくて、桂小米朝さんが10月に五代目桂米団治(よねだんじ)を、また、桂春菜さんが父・春蝶を継ぎ三代目桂春蝶(しゅんちょう)の襲名披露です。 一説によると、桂米団治襲名の話は兄弟子の桂ざこばさんが「いつまでも人間国宝・米朝の小さい米朝というのもいかがなものか?・・・」というのが襲名のキッカケとか。 平成20年10月4日(土)京都・南座でのお披露目。いまは新ネタに取り組んでいるとか。 あ、そうそう三代目桂春蝶さんもよろしく! お二人の今後の活躍をお祈りします。 注:当ページの情報は、潟[ンリン「大阪のあるきかた」を参照に、当サイトにて関連情報を付加したものです。 |
|
|
|