エキゾチック・トルコ・ハイライト
  大人の旅心にお応えする 「旅と食の情報誌」  
 
エキゾティック・トルコ・ハイライト


初めに
ヨーロッパやアジアでもないトルコに興味があり、東西文明の接点にある『トルコ』へ行ったときの旅日記です。

1日目・・深夜:0時10分関空発
2日目・・イスタンブール市内観光
3日目・・カッパドキア奇岩群
4日目・・ターキッシュ・ブルー
5日目・・パムッカレも水不足
6日目・・トロイア遺跡:トロイの木馬


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<旅行日程>

20xx年7月18日〜20xx年7月24日(6泊7日)


行程ダイジェスト


 ここで、トルコという国のおさらいをしておきましょう。
   ・面積:約81万5000平方キロメートル(日本の約2倍強)
   ・人口:約6,650万人  ・首都:アンカラ   ・政治体制:共和制 
   ・民族構成:トルコ人、クルド人など   ・宗教:イスラム教99% 
   ・通貨:トルコリラ(TL)      などなど。
古代遺跡・歴史的建造物・特異な自然景観や世界3大料理といわれるトルコ料理など旅心を満たす見所一杯の国です。トルコ料理も紹介していきましょう。


 
 トルコへ行く航空便は数多くありますが、今回は「ウズベキスタン航空」利用のツアー、なんと「深夜:0時10分関空発」のフライトです!


 ウズベキスタン・タシケント空港トランジット時のワンショット。添乗員より空港から出ないように、航空機を撮らないようにと注意され、未だに社会主義国の匂いがする国でした。
タシケント空港午後11時ごろにイスタンブール空港到着。早速空港内で両替。日本円で¥3,000円を両替するとこんな高額のお札2枚出てきました。少なくとも、30,000,000TL以上です。トルコのお金の単位が大きく驚かされます。この国のインフレ率はすごい。現地ガイド氏によると、大雑把に言って、1千万TLが日本円で千円。すなわち約1万分の1に換算とのこと。
(注)当時、1トルコリラ \103.70円でした。

 ここへきてトルコ政府もデノミを断行。2005年1月1日から0を6つ取った新通貨が誕生するらしい。これもEU加盟への必死の努力(したがって、このお札は骨董的価値があるかも?)旅行中の有料トイレは30〜35万TLであった。
 因みに、通貨(紙幣・コインとも)の図柄は、全てトルコ共和国建国の父とされているムスタファ・ケマル・アタチュルクである。

トルコ共和国建国の父-ムスタファ・ケマル・アタチュルクトルコ料理のピラウとケバブ


 さあ、いよいよトルコ旅行の始まり。まずは昼食のためレストランへ。なかなかいい雰囲気。本日の昼食です。トルコのピラフ(トルコ語でピラウ)は松の実の入ったバターライスで、ケバブの付け合せです。ピーマンの中身はお米です。

 食事も終わり、いよいよイスタンブール観光です。皆さんもごぞんじの通り、イスタンブールはボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に別れています。これから行くところはヨーロッパ側のスルタン・アフメット地区で旧市街の歴史地区。

 旧市街には、ビザンツ1000年、オスマン朝700年の首都となった、イスタンブールの代表的な建造物が集中しています。ギリシア正教の総本山アヤソフィアをはじめ、オスマン朝歴代スルタンの居城だったトプカプ宮殿、ブルーモスクの名で親しまれるスルタンアフメットジャミィなどは同じ地区にあります。

ブルーモスクの名で親しまれるスルタンンアフメット・ジャミィですギリシア正教の総本山アヤソフィアトピキアピ宮殿からのボスポラス海峡の眺めはすばらしく、夏の乾いた風が心地よい♪

 『スルタン・アフメット・ジャミィ』、通称『ブルーモスク』を、当初外壁全体が青いタイルを敷き詰めた建物と想像していましたが、内部を飾るイズミック・タイルが青を主体としているため、このように呼ばれたそうです。ドームには数多くの小窓があり、ステンドガラスからの光が効果的。 ドームに施された 彩色絵を、首が痛くなるまで眺めていました。
バザールイスタンブールの夜はこれから活気づきます

『アヤソフィア』『トプカプ宮殿』と見学し、『グランド・バザール』で締めくくりとなりました。 レストランの夕食は、生演奏で盛り上がりました。イスタンブールの夜はこれからが活気づいてきます。

イスタンブールからアンカラまでの寝台列車
今夜のお宿は寝台列車。
ボスポラス海峡を渡ったアジア側のイスタンブール・ハイダルパシャ駅午後10時発、アンカラ駅午前8時着アンカラエキスプレス。 10時間の列車の旅。
 ゆっくり眠りましょう。イイ・ゲジェレル(おやすみなさい!)
 


 「ガタゴト」とかなり乗り心地のいい寝台列車を堪能(?)しました。只今の時刻は午前5時50分。世界の車窓トルコ編≠ナ3日目の始まり。個室もこざっぱりとして、午前中乗っていたい気分。
寝台列車の個室からの朝のシーンは感動ものです!
 
定刻通り午前8時ごろ?アンカラ駅に到着。早速バスのお迎えで、朝食は駅近くのレストランへ。 ここ、アンカラからイスタンブールまでの行程約1,260kmのスタートです。


 今日の観光予定は、『カッパドキア地方』。 隠れキリシタンが住んでいたカイマクルの地下都市、岩の要塞で知られるウチヒサール、フレスコ画で彩られるギョレメ野外博物館などなど。

隠れキリシタンが住んでいたカイマクルの地下通路岩の要塞で知られるウチヒサールフレスコ画で彩られるギョレメ野外博物館


 途中、塩の湖・トゥズ湖に立ち寄りました。多くの人が、昼食用にと少しティッシュに包んでいました。 昼食は洞窟レストランでバルック(マス料理)見栄えは悪いですが、先程の天然塩を振って食べると、これが、ばか美味(うま)!

塩の湖・トゥズ湖鱒料理に天然塩でおいしく頂きました♪

 カッパドキアは、アナトリアの大地が創り上げた大自然の造形美。きのこ岩≠熈らくだ岩≠烽「くらなんでも、人間の手では作りえない代物。

きのこ岩ウチヒサールのパロラマ


火山灰と溶岩が積み重なったものが、風雨による侵食と、気の遠くなるような時間でなりえたトルコの観光遺産。 今日の観光はこれまで。

プールサイドでの生演奏付きディナー♪

きょうのホテルはDINLER in NEVSEHIRネブシェヒル・ディンラーホテル、この夕暮れの時刻は午後8:30で未だ薄明るい。この時、大きな声でいえませんが、食卓テーブルがプールサイドまで張り出していましたので、ツアー客の方が足を滑らせて「ドッボーン♪」とパフォーマンスされました。 明日も早いのでお先に。





 おはようございます。朝食後、昨日カッパドキア地方の見残した景観らくだ岩≠ノ立ち寄る。トルコツアーも折り返しの中日。今日の旅程は、キャラバンサライ〜コンヤ〜パムッカレのルート。

キリム工場途中、トルコ名産の絨毯・キリム工場へ誘導され、生糸や羊毛を使った絨毯の製造・販売へと一連の流れ。 空飛ぶ絨毯≠フパフォーマンスもするこの人にはビックリ。トルコの絹の絨毯を「ヘレケ」というそうです。

 こちとら買う気が全くないので、工場内をウロウロ。夏の陽射し避けの中庭・パテオは涼しそうです。ロビーにはさりげなく、ゴッホの夜のカフェテラス≠ェ掛けてありました。 絨毯工場を後に、一路キャラバンサライ(隊商宿跡)へ。

そこのけ、そこのけ、羊がとお〜る♪青い色の泉・ターキッシュブルー←こういう微笑ましい風景もありました 
荒れるにまかす≠ニはこのこと。いづれ細石と化す運命のキャラバンサライ"しかし、この泉はどうしてこのよう
な青い色をしているのか? 温泉に入浴剤で色をつけたり
温泉と言って水道水や井戸水を沸かしたりの、どこかの国と違って、何かの鉱石から溶け出しているのだろうか(トルコ石?ラピスラズリ?)

 昼食はピデ(トルコ風ピッツア)です。 午後の観光は、トルコの古都・コンヤ。美しいタイルなどを展示するカタライ神学校の中庭のぶどう棚の下で一休み。コンヤのシンボル・メヴラーナ博物館横での1枚。

スナップカタライ神学校の天井メヴラーナ博物館

 今夜の宿泊地はパムッカレ。夕食が遅くなるとの情報により少し腹ごしらえを企て、トイレ休憩時にこの地の名物「自家製・蜂蜜入りヨーグルト」を食べるも、イマイチ変な味。 走りに走りパムッカレに到着。どうもお腹がゴロゴロ、トルコの隣国グルジア¥態。どうもお腹の調子がおかしいので、朝食はお粥としよう。

こういうシーンに備えていつも持参しているのが→これ

5日目・・パムッカレ(石灰棚)も水不足? パムッカレ〜エフェソス〜イズミールの地図 
 おはようございます。今日も7時の出発。リッチモンドホテルを後に、石灰棚観光≠ヨ。今日の旅程は、パムッカレ〜エフェソス〜イズミールのルート。途中、幾つもの遺跡を車窓観光。パムッカレ・石灰棚へ到着。石灰棚は台地上部から流れ出る石灰成分を含むお湯が、長い時間を経て結晶し、台地全体を覆ったもの。

 パムッカレ≠ニは、トルコ語で「綿の城」という意味をもつトルコ有数の温泉保養地。 石灰棚のところどころに温泉水がたまった池があり、水着姿で泳いだり、湯につかったりするのが、観光客の楽しみのひとつであった。ところが、あまりの開発ラッシュのためか、現在温泉は枯れつつあるという。

石灰棚 そのため、棚に湯を流すのは夏期の日中のみになっている。観光用の石灰棚は素足になって決められたルートを歩く。
 足湯ツアーという感じだが、水たまりは少ししかなく、当方の足の裏は顔の面ほど厚くないので?「痛快」を超える痛さ。水も冷めたい。多分、観光用と違うルートがあり、そこでは温泉≠ェ湧き出しているのだろうと思う。

水不足の石灰棚
これは、ほぼ同じ場所、展望台からの写真で、左は今回のもの、右はガイドブックからのもの。水量の違いが分かる。

 次の『エフェソス遺跡』観光の前に、皮革縫製工場≠ヨ拉致される? 余興として、ツアー客とモデルとの絡みがあり、ツアー客の御仁、モデル嬢と軽いステップワークで登場。そのショーマンシップに、場内拍手喝采!

 この遺跡観光、日陰なし・炎天下の「行軍」2時間は、グルジア状態≠フ体力では「死の行軍」大事をとってリタイアを申し出る。その間ツーリスト・インフォメーションに立ち寄り、書き溜めたハガキを投函。

 出口付近の喫茶店で、トルコの紅茶チャイ≠頼むも何故か普通のティーカップの紅茶が出てきた。あの独特のガラス製グラスのチャイ≠注文したつもりだが・・・・

 定刻を過ぎても一行下山せず。はたして、女性客の一人が熱中症でダウンし、回復に時間を要したとの報告。やれやれ、踏みとどまったのは正解。
 目元パッチリ、トルコ美人♪


今夜の宿泊地はイズミール。エーゲ海地方最大の工業貿易都市でトルコ第3の都市。お宿はプリンセス・ホテル。ロビーでしばらく休憩。ポール・モーリアの甘いメロディーをBGMにまどろみの世界へ。 集合してくださーい!≠ニいう無粋な声。「モーニング・コールAM:4:45、ホテル出発AM6:00でーす」は強烈な目覚時計!!
 



  おはようございます。夜討ち朝駆け、波乱万丈のトルコの旅も今日が最終日。本日の旅程は、イズミール〜トロイ〜イスタンブールのコース。

  トロイ遺跡観光までの間、バスの中で色々ゲームをやったり、トルコの歴史や遺跡の知識などの復習をガイド氏が講義。彼、シナン氏(Sinan Aydogdu)は32歳、黒海地方トラブゾンの出身。アンカラの大学で日本語を専攻。卒業後日本へ留学。兵庫県・姫路市内で下宿生活。帰国後、通訳・翻訳活動を行う。徴兵義務終了後、日本語ツアーガイド・ライセンス取得。

 彼の名刺には、The Turkish Ministry of Tourism プロフェッショナルツアーガイドとある。自己紹介のとき「至難の業(しなんのわざ)のシナンです」は受ける。愛国青年という感じで、トルコへの投資を盛んにアピール。ヨーロッパとは永年の確執があるが、日本とトルコは今まで直接戦ったことはなく、むしろ昔から親近感がある。現地ガイド・シナンさん

 アメリカの偵察衛星によると、トルコにも油田層が発見されている。「石油資源」の後は、「水資源」になり、チグリス・ユーフラティス川を有しているトルコは、将来有望であるので開発投資にお力をと、熱っぽく民間外交。

 バスはエーゲ海沿いを走る。バスを停めてしばらくエーゲ海で水遊び。最後の観光地トロイ遺跡に到着。

 トロイアの地に集落ができ始めたのは紀元前3000年ごろ。初期青銅器文明のこの時代からトロイの歴史は始まり、紀元前2500〜2000年頃にはエーゲ海岸の交易の中心地として繁栄の時を迎えた。その後、栄えては滅びるという歴史を繰り返し、トロイは全部で9層にわたる年遺跡を形成しているとある。

トロイ遺跡複製のトロイの木馬

 「トロイの木馬」の伝説を信じた、ドイツのシュリーマンの話は皆さんもご存知。現在も発掘・調査がつづいている。 これは、伝説にちなんで復元された木馬の内部からの写真です。

 エーゲ海沿いのレストランで昼食。 今日の料理キヨフテ(トルコ風ミニハンバーグ)。 昼食後、バスは要衝ダーダネルス海峡の中心都市チャナッカレへ。対岸のヨーロッパ・トルコのキリットバヒルまでフェリーで約30分。車窓からのひまわりが美しい。バスはイスタンブールへとひた走り。

最後のトルコ料理:キヨフテ(トルコ風ミニハンバーグ)子供たちの世界はいつもONE WORLDダーダレルス海峡フェリーこれも民族舞踊です


 最後のイベント民族舞踊のディナーショーで、トルコ旅行は幕となった。




大概のトルコツアーはほぼ国内を一周しますので、見どころはいっぱいあり、十分に観光したっ!って気になります。

旅行代理店によっては、プラス、ギリシャまたはエジプトというツアーを揃えています。





■費用はおいくら?

残念ながら正確な旅行代金が手元にありません。7月で14〜15万円だったと記憶しております。当時は燃料サーチャージはありませんでした。

現在でも他のヨーロッパと比べて格安感が魅力です。なにせ、トルコのほぼ全ての有名観光地を駆け巡るのですから。








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